新聞掲載記事


平成24年7月5日 「あさのたより」掲載記事


5月21日、北國新聞に山車の記事が掲載されました。

http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20120521105.htm

 

白山の太鼓職人の技、埼玉の祭りに 熊谷うちわ祭の山車完成


 山車は最上部の人形を含め高さ8.5メートル、幅2.7メートル、前後約5.5メー トル。7月20日から22日の熊谷うちわ祭で繰り出す。約2年前、荒川区山車建造実行 委員会が埼玉県内の太鼓店を通じて技に定評のある浅野太鼓楽器店に制作を依頼した。 白山市の浅野太鼓楽器店は20日までに、太鼓職人の技を集結し、「関東一の祇園祭」 と言われる熊谷うちわ祭(埼玉県熊谷市)の山(だ)車(し)1台を完成させた。創業4 03年で「世界最古の打楽器店」として知られる同社が山車を制作したのは初めて。絢爛 (けんらん)豪華な仕上がりを見た祭り関係者は「素晴らしい出来栄えだ」と口をそろえ た。

 浅野太鼓楽器店は、全国の祭りで使われる太鼓や大型の台の制作も手掛けてきた。浅野 昭利浅野太鼓文化研究所理事長によると、木工や漆塗り、車輪制作のノウハウがあり「若 手に技を継承する機会になる」として山車制作を請け負った。

 熊谷うちわ祭は京都・八坂神社の祇園祭に由来し、12台の山車と屋台が街を練る。発 注した荒川区は昨年まで屋台を出していたが、今年から山車を繰り出そうと新調した。

 19、20日にはうちわ祭の岡本庄一郎大総代や荒川区の中條育行(やすゆき)実行委 員長らが浅野太鼓楽器店を訪れた。山車の飾り付けなどに立ち会った浅野恭央(やすお) 社長は「職人の技を出し切って山車を仕上げた。祭りで運行される日が楽しみだ」と話し た。

 

 

 

 

 


平成23年7月16日、埼玉新聞に荒川区屋台の記事が掲載されました。

 

屋台のアンダーパスが見納め 熊谷うちわ祭り

屋台の屋根が地下道の天井にぎりぎり接触せずに通過するアンダーパス。お囃子の音色が地下道の中をこだまする(写真提供・荒川区)
屋台の屋根が地下道の天井にぎりぎり接触せずに通過するアンダーパス。お囃子の音色が地下道の中をこだまする(写真提供・荒川区)

 20日から始まる「熊谷うちわ祭」。熊谷の市街地を引き回される山車・屋台の一つ、荒川区の屋台がJR高崎線のアンダーパスを通過する場面は隠れた見せ場として知られている。しかし、この屋台は今年で引退。新調する山車は高さの関係でアンダーパスをくぐることができない。同区では、先人たちの思いがこもった屋台の最後の晴れ姿を飾ろうと張り切っている。

 荒川区の屋台は、1947年に地元の大室木工所が独自に製作し翌年同区に寄贈された。祭りを支える祇園会の会員や子どもたちが乗り込み、お囃子(はやし)を演奏しながら市街地を巡行している。

 荒川区はうちわ祭の中心会場から高崎線の線路を挟んで北側にある。祭りのときは、踏切を越えて屋台を引き出している。経路には高崎線を地下道で通過するアンダーパスがあり、地下道の天井がぎりぎり通過できる高さ。6、7年前から、祭り初日の夜のみアンダーパスで通過している。

 祇園会やとびなど数十人が、屋台の引き綱を握って坂道を引き下ろす。屋台の高さは4・65メートル。屋台の屋根と地下道の天井が最も接近する場所では、牛乳瓶1本分程度の隙間しかない。慎重に通り抜け、坂道を引き上げる。秩父夜祭のクライマックス、団子坂の場面も連想させることから、最近は見物に訪れる人も増えてきた。

 この屋台の老朽化が進み、新調を求める声も出ていた。来年は荒川区が年番町ということもあり、新たに山車を造ることになった。しかし、今までの屋台より高さが数十センチ高くなる。これでは地下道を通過できない。やむなく、アンダーパスの通過は今年限りで取りやめることになった。

 今年は祭り初日だけでなく、巡行祭が行われる21日にもアンダーパスの通過を2回行う。来年の大総代の岡本庄一郎さん(68)は「荒川区の屋台は戦後の歴史とともにある。60年以上もよく頑張ってくれた。最後の勇姿を多くの人に見てもらいたい」と話していた。

 

 

 

 


平成20年、荒川區の様子が取材されて新聞に掲載されました。

その時の記事を載せています。

「音色がつなぐきずな」
 
七月二日午後六時ごろ、見晴町の荒川神社境内の集会所に小、中学生が続々と集まってきた。七月に入ると、山車や屋台を巡行する各町でお囃子の練習が始まる。荒川區は十二カ町で最も早く、この日が練習の初日。子どもは小学五年から中学生までの約五十人が参加している。
「お父さんがお囃子をやっていてかっこよかったので、自分もやりたくなった」。中学二年の渡辺志保さんは、小五の時から参加している。先生役は高校生や二十歳前後の先輩たち。太鼓のばちさばきなどを、手取り足取り教わっている。中学生になり、演奏する演目も増えた。「笛の吹き方の変化を聞いて叩きわけるのが難しい」という。
うちわ祭りのお囃子は、群馬県新田郡の世良田に伝わる世良田囃子の流れをくむ。以前は深谷や岡部から囃し連を招いていたが、昭和三、四十年代から各町が自前で囃し会を組織するようになった。編成は、ツケと呼ばれる小さな締め太鼓が三つに、笛、大太鼓、鉦(かね)。特徴的なのは、小ぶりの金だらいほどの大きな鉦。一般的にはこするように叩くものだが、熊谷ではがんがんと叩く。叩き合いともなれば、鉦と太鼓で耳をつんざく大音量となる。
「太鼓の隣にいても、その音で眠れちゃうぐらいになれば一人前」。熊谷祇園會荒川支部長の栗岡秀公さんは当たり前のようにいう。「それだけ音色が染み付いているということですよ」。
三人並んでたたくツケ太鼓は、メンバーがやめない限り、常に同じ仲間で組む。だから、手の振りや体の揺らし加減、音色もぴたりと合う。子どものころから培ってきた、あうんの呼吸だ。
「学校の同級生だと卒業したら『はい、さようなら』という友達も多いけど、お祭りの仲間は家族意識みたいなものが強い」という。
毎年、準備から祭りの当日まで、苦楽をともにする仲間たちは特別な存在でもある。
お囃子会の子どもたちは中学を卒業すると、希望者は祇園會に入ってさらに本格的なお囃子に取り組む。同時に子どもや後輩への指導も行う。お囃子の音色は地域に絆をむすび、次代へと引き継がれていく。