荒川區のお囃子について

 

荒川區祇園會のお囃子は、熊谷うちわ祭りの全体の中で比べると、特に大きくゆっ

くりと叩くのが特徴的です。ゆっくりと大きく叩くお囃子は、バチの角度や腕の回

し方、音のインパクトを合わせることが非常に難しい為、お囃子の練習は会員一同

とても熱を入れて行っています。

 

屋台は囃子場が広く、ツケと並んで柱があるという屋台の特長を最大限に生かした叩き方をしています。

平成24年に作られた山車は、これまでの叩き方を再現できるよう、囃子場を旧屋台のように広く設計されています。

 

附太鼓3つ、大太鼓1つ、摺り鐘3つ、笛で構成されています。

 

ツケの皮は五丁の皮を使用しており、熊谷の中では大きいものです。

道具の管理は1年を通して祇園會がしています。

 

 

発祥

荒川區では昭和22年と23年の2年間、屋台を造った荒川区内の大室木工所の職人にお囃子を叩いてもらっていました。大室木工所に出入りしていた職人の中に深谷新井の囃子伝承者がいたそうです。

昭和23年のうちわ祭り終了後、屋台は荒川区に寄贈され、お囃子は町内の人間で叩くようになりました。

そして昭和34年、荒川區で祇園会とは別に活動していた囃子連がちどり会という名称で活動するようになりました。その当時、荒川區ではお囃子はちどり会が叩き、祇園会が組頭と共に屋台を運行するという体制だったのです。

その後、昭和56年に祇園会とちどり会を合併し、屋台の運行やお囃子など、全般的に活動をする現在の形になりました。

荒川區のお囃子のルーツをたどっていくと、深谷のお囃子は岡部から伝わったものであり、岡部の囃子連は群馬県の世良田にも囃子を奉納していたことから、荒川區のお囃子の基本形は世良田の流れをくんでいます。 他の町内も岡部や深谷などから教わった為、もともと世良田で奉納していたお囃子と同じものが熊谷に伝わり、全ての町内が世良田囃子と同じような形・リズムになっています。

興味深い話として、埼玉県のお囃子は全体的に大きな特徴があるそうで、東京方面から伝わった神田囃子や葛西囃子、上州方面から伝わった世良田囃子など、多くのお囃子の要素が入り交じったお囃子だそうです。現に、形は世良田囃子に似ていますが、東京方面で伝わる演目を叩く町内もたくさんあります(中身は違いますが)。 

現在では埼玉の各地で伝わっているそれらのお囃子が、それが1つの形として認められ、そのような伝わり方をしたお囃子を総称して「参手古囃子(さんてこばやし)」として呼ばれるようになりました。

しかし、同じ埼玉でも秩父の屋台囃子は江戸から直接持ち込まれたお囃子が伝わっており、それが変化して秩父独特のお囃子になったということです。

 

 

 

 

 

演目

 【出囃子】

・演奏が始まる時の最初のお囃子です。笛の合図から始まり、ツケ(三太鼓)の

 真ん中のソロ、大太鼓のソロと続いて全体での演奏になります。

 

【地囃子】

・お囃子の基本的な叩き方です。うちわ祭りの地囃子は各町によって微妙に叩き

 方が違います。荒川區の地囃子は2種類あります。

 

【シゲ】

・地囃子から派生する叩き方の1つ。「ソー」の掛け声で始まるのでぶっつけと

 似ていますが、ぶっつけと比べるとおとなしく、魅せる演目です。

 

【ぶっつけ】

・地囃子から派生する叩き方の1つ。うちわ祭りの醍醐味である叩き合いには、

 荒川區では全てこのぶっつけを演奏します。ぶっつけが終わると、地囃子が

 ぶっつけの地囃子に変化します。刻みを経ることで通常の地囃子になります。

 

【刻み】

・地囃子から派生する叩き方の1つ。バチを水平にゆっくりと上げる仕草から

 始まるのでわかりやすい演目です。

 本番中での使いどころとしては、叩き合いが終わった後、ぶっつけから直る

 時に演奏します。

 

【大刻み】

・地囃子から派生する叩き方の1つ。この演目は荒川區がオリジナルとして考

 案した演目です。刻みとは始まり方が異なり、演奏時間も長めです。

 

【河違い】

・地囃子から派生する叩き方の1つ。叩き合いの合間の移動時間に演奏されま

 す。全体的にゆっくりと大きく叩く荒川區のお囃子の中でも、静かな流れと

 激しい流れが交差した一風変わった演目です。

 大太鼓のソロが長いという特徴もあります。

 

【あがり】

・演奏を終了する時に入る演目です。短いパターンと長いパターンが存在して

 いますが、基本的には長い方を演奏しています。