荒川區の屋台

昭和22年製作の屋台は、平成23年度熊谷うちわ祭りが最終巡行となりました。


 

新屋台庫建造、旧屋台を保管


平成24年11月10日(土)、昭和22年から平成23年まで使用された大室木工所製作の旧屋台が埼玉自動車学校(埼玉県熊谷市見晴町330)敷地内に建造された屋台庫へ収納されました。

今後はこの屋台庫で保管されることとなります。

 

近くをお寄りの際にはぜひお立ち寄り下さい。



 

 

製作年 昭和22年 制作費 寄 贈
制作者 大室木工所(荒川区) 彫刻師 福島某
寸 法 H 4,650mm 見送幕 横綱の土俵入り
W 2,880mm お囃子会 荒川区おはやし会
L 4,520mm    

 

荒川区の屋台は高さ4650、幅2880、長さ4520の中型の屋台です。

JR高崎線の南側に位置する町内のため、幾度もの踏切越えの過酷な衝撃を受けているにも関わらず、いまだに頑張っているとても強い屋台です。

平成17年度熊谷うちわ祭りにおいて、高崎線の線路下を通るアンダーパスをくぐるという快挙を成し遂げ、いまやうちわ祭りの1つの見所となっています。

見返り幕
見返り幕

 

 


因幡の白兎

荒川区の屋台の懸魚には「因幡の白兎」という物語の彫刻が彫られています。

これは物語に出てくる大国主命(おおくにぬしのみこと)が荒川区の屋台のモチーフになっているからです。

因幡の白兎という童話を知っている方は多いと思いますが、ワニザメを騙した兎が皮を剥ぎ取られた後に続く話に大国主命は登場してきます。

 

「説話」

大国主には多くの兄弟(八十神)がいた。大穴牟遲神が稲羽(因幡)のヤガミヒメを妻にしようと出掛けたとき、八十神は大穴牟遲神に荷物を全部持たせた。気多(けた)の岬に着くと、裸の菟が伏せっていた。八十神は、「お前は海水を浴び、高い山の上で風に当たって寝ていろ」と指示した。菟がその通りにすると、海水が乾くにつれて身の皮が風に吹き裂かれた。

菟が痛みに苦しんで泣き伏せっていると、そこに遅れて大穴牟遲神がやって来た。大穴牟遲神が何があったのかと問うと、菟はこう答えた。「私は淤岐嶋にいて、こちらに渡ろうと思ったが渡る手段がないので、海の和邇(わに)に「お前と私とでどちらが仲間が多いか競争しよう。できるだけ仲間を集めて気多の岬まで一列に並びなさい。私がその上を走りながら数えて渡るから」と言った。和邇は言われた通りに一列に並び、私はその上を跳んで行って、地面に下りようとする時に「お前たちは騙されたんだよ」と言うと、和邇は私を捕えて着物を剥いでしまった。先程通りかかった八十神に言われた通りにしたら、すっかり傷だらけになってしまった」。

大穴牟遲神は菟に、河口へ行って真水で体を洗い、そこに生えているの花粉(蒲黄)を取ってその上で寝ると良いと教えた(蒲の花粉はホオウといい傷薬になる)。菟が教えられた通りにすると、体は元通りに直った。この菟は、後に菟神と呼ばれるようになった。

兎は大穴牟遲神に、「ヤガミヒメは八十神ではなくあなたを選ぶでしょう」と言った。(ウィキペディアより抜粋)

 

 

 

 

Q&A


屋台にはエンジンが付いている?

よく「屋台にはエンジンが付いているんですか?」という疑問を耳にしますが、正確には屋台の下部分には「発電機」が乗せられています。

これは、屋台の装飾でもある提灯などの灯りに使う電力を供給する為です。

屋台の巡行など、電飾系統以外に関しては全て人力になります。


屋台と山車はどう違うの?

熊谷だけで考えるとするならば「人形が出るかでないか」という答え方がわかりやすいんじゃないかと思います。

屋台の場合、囃子場(はやしば)がとても広く使えるというメリットがあります。もともと屋台は「舞台」として使われていたという由来があります。


 

 

 

第弐荒川區

お祭り本番中、荒川区の屋台の後ろに常についていく小さな屋台があります。通称「第弐荒川區」。この正体は実はリヤカー。
平成20年に荒川区の吉田を筆頭に若衆によって手作りで制作されました。その仕上がりはまさに本物の屋台のようです。
これには大きなポリバケツが2つ乗っていて、その中には皆がいつでも水分補給ができるように飲み物が入ってます。要は給水車として使用されているわけです。

 

この第弐荒川区は、木材を組頭と祭事が寄付してくれたものを使い、荒川区祇園會の若衆が見事に土台と屋根を組み上げました。
そこから様々な部品(三太鼓・大胴・鉦・鬼板などの彫刻・銅飾り・高張提灯・ぼんぼり提灯・水引幕・電飾・梶棒など)をみんなが自分で探したりして寄付し、取付も手作りにこだわって作り上げました。
組頭・祭事・祇園會が気持ちを一つに、三位一体となって作り上げました。

まさに、町内の結束力が強い荒川區の象徴とも言えそうです。

 

 

 

 


屋台最終巡行手拭いは完売となりました

 

屋台の最終巡行記念として販売させていただいた手拭いは、おかげさまを持ちましてうちわ祭り中の3日間で完売となりました。収益金は東日本大震災の義援金として寄付させて頂きました。